「〇〇の競馬写真ってたまに、お!っていうのがあるけど、有名なレースになるといつも同じだよね」 大学時代の友人からの唐突にいわれたのが先週の土曜日。 彼は競馬は撮らないけど、写歴は自分よりも長い。 別に悪意があって吐き捨てるようにいったのではなく、話の流れでそういう言葉として出たのだと思うけど、 ハッキリ言って図星過ぎて返す言葉が見つからなかった。 「でも最近のやつはちょっと変わってきているよね」 「え?」 いままで自分が撮ってきた重賞レースの写真といえば・・ 競馬を普段やらないし撮らない人から見れば、馬が入れ変わっただけの何の面白みもない“ただ同じ構図の馬の写真”なのである。 競馬撮りを始めた当初の自分はそういうものを忌み嫌っていた。 そんなもの、誰だって撮れる。自分は自分だけの世界を撮る。 今にして思えば実に幼稚な考えだった。身の程知らずとはこのことをいうのだろう。 その誰だって撮れるものと思われていたものが全然まともに撮れないのだから。 それからというもの約5年近く、所謂“定番”といわれる構図を自分なりの味付けを加えながら撮ってきた(つもり)。 定番には定番の奥深さがあった。そのことを痛感した5年間だった。 そして今年。 “クラシック音楽”もいいんだけど、そろそろ自分のオリジナル曲も作りたいかも、という思いが芽生える。 以前も書いた気がするが、未開の地は限りなくゼロに近いと思う。既存のものをどれだけ自分だけが出せる味にできるか。。 それがオリジナルなのかといわれると分からないとしか言いようがないが、それでもそれを追求していかないと何も見えてこない。 こんなことも一時思ったことがある。 「この機材を使えば今よりももっと良いものが撮れるようになるはず・・」 間違ってはいないと思う。 事実、物理的にそれがないと撮れないというものは必ず存在する。 ただし、それですべてが解決したように感じられるのは鮮度のあるその一時だけ。 結局のところ道具を替えるだけでは解決しないと個人的には思っている。 自分がサンヨンからサンニッパにかえた直後のブログ記事をみると道具に頼り切ったそれが伺える。 道具を変えたら変えたでしばらく使うと次の壁にぶち当たる。 もし、ぶち当たらなければ良い意味でも悪い意味でもThe End.である。 「最近のやつはちょっと変わってきているよね」 内心は 「いやまだまだ全然理想のやつは撮れてないんだよ」 といいたいところだけど、ブログにまで公開しておきながら謙遜しまくりの自虐的なことしか言わないのもかなりイタイので、 「あざ~っす」 と素直にお礼を言う。これはこれでバカっぽいのだけど。 自分自身は特に手ごたえを感じている訳ではないが、今年はできる限り自分の思っているものを撮ろう、と思ってきたことが 少しだけでも他人にも伝わってきたのかも・・ そんなことを感じた出来事だった。 by Sunny×Sunny|
by brian_h
| 2016-03-08 20:51
| 馬がいる光景
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